マチュピチュ遺跡

マチュピチュ遺跡について

ペルーと言えば一番に思い出されるのがこのマチュピチュ遺跡ではないでしょうか。マチュピチュはインカ最後の都市と言われていますが、滅んだのは15世紀頃、日本は戦国時代が終ろうとしていた頃でしょうか。他の文明の遺跡と比べると決して古いわけではありません。でもその神秘さは世界屈指と言えると思います。

マチュピチュは世界遺産に指定されていますが、正式名称はマチュピチュの歴史保護区で、文化遺産と自然遺産の複合遺産として登録されているそうです。

若き日の筆者。遺跡好きなら誰もが一度はマチュピチュを見下ろす、この場所に立ちたいと思うのではないでしょうか。

マチュピチュへの道

マチュピチュ遺跡に向かう起点となるのは、インカ文明の首都があったクスコです。現在は一見スペイン風の町並みですが土台はインカ文明が色濃く残っています。

このクスコの町からディーゼルで走る列車に乗ってマチュピチュを目指します。列車の終点はアグアス・カリエンテスという小さな町。これは温泉という意味で、実際ここには温泉があり、水着を着て入ることができるようです。マチュピチュはこの町から見上げる高い尾根の上にあり、普通はバスで登ります。

マチュピチュの核心部

これはマチュピチュ遺跡の核心部。屋根こそありませんが建物や石垣が非常に良く残っています。1911年にこれをジャングルの中から発見した歴史学者ハイラム・ビンガムはどんな感慨を抱いたでしょうか。うらやましいですね。

この写真は有名なコンドルです。その名もコンドルの神殿と言われる建物の中にあります。儀式に使われた、生贄がささげられた、という説があります。

フィルムが劣化して、なんだか古びた絵葉書のような色になってしまいました。これも有名な三つの窓の神殿。大きな石が使われています。内側には17個の壁龕があります。

 

これがマチュピチュ遺跡の神殿が固まる核心部。中央下部に見えるのがメインの神殿です。凝った作りの建物だったことがわかります。

これは重要なモニュメントで、イテンィワタナと呼ばれています。20年も昔から名前を覚えていたわけではなく、WEBで調べてわかりました。太陽信仰の象徴、あるいは日時計とも言われています。

何分マチュピチュを訪れたのは1986年のことで、何を撮影したのか記憶が定かでなくなってきているのですが、これは多分太陽の神殿の外観だと思います。曲線の壁が特徴的です。

太陽の神殿の下部。自然石の上に作られているようですが、美しい石組みです。いたるところに目を見張るような石組みがあります。

さらに下部。こちらもまた美しく加工された石が見られます。

これがマチュピチュの写真には必ず写っているワイナ・ピチュ(若い山)という山です。この山には山頂まで遺跡があり、登ることもできますが、普通のツアーだと登れる時間はありません。かなり険しい道だそうです。見るだけで想像はつきますが。

見事な段々畑があります。一体この町では何人が暮らしていたのでしょうか。石積みは強固で500年以上使われていなくてもまったく壊れていません。すごい石積み技術ですね。

これはマチュピチュ核心部への入り口付近。後ろの高台に見える建物は通称見張り小屋と呼ばれるもの。有名なマチュピチュの全景写真はこの小屋の付近から撮影したものです。後ろにも高い山が見えますが、インカの道はマチュピチュからずっと山の方へ延びていっていました。

この写真奥の左にいるのがツアーのガイドさんです。僕以外はすべてスペインや南米の人たちで、ガイドもスペイン語で行われました。征服者スペインの悪行の数々を説明した時に、アルゼンチンの人がスペインの人に「お前の国はひどいことをしたもんだなあ」と言ったのが面白かったです。言っている本人もスペイン人の末裔でしょうから。

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