グアテマラ高地のポストクラシック期マヤ文明
イシムチェ遺跡(イシンチェ遺跡)は、グアテマラの高地に位置します。グアテマラの旧首都であるアンティグアから比較的近いです。ここは、ポストクラシック期のマヤ文明を垣間見ることができる魅力的な考古学遺跡です。15世紀にカキチケル王国の首都として栄え、この地域の歴史において重要な役割を果たしました。
ポストクラシック期は、マヤ文明が繁栄から滅亡へと向かう時期です。スペイン人の侵入後にも残った都市がいくつかありましたが、イシムチェはその一つです。他の都市にはグアテマラ北部にあるザクレウがあるそうです。ザクレウへは1980年に行ったことがあります。小さな遺跡で、説明もなく、どんな意味のある場所かもその時はわかりませんでした。イシムチェに訪問することで、ザクレウの遺跡の価値もやっとわかりました。
イシムチェの歴史
1470年頃に建設されたイシムチェは、交易路を支配しました。また、潜在的な脅威から身を守るために戦略的に位置づけられていました。都市は周囲の丘の輪郭に沿って、一連のテラス上に建設されました。その建築様式は、伝統的なマヤ様式と他のメソアメリカ文明の影響が見られる融合が特徴です。アクロポリスと呼ばれる大規模な儀式中心地や、神聖なボールゲームが行われたボールコートなどがその代表的な例です。
残念ながら、イシムチェの栄光は長くは続きませんでした。創建からわずか50年余り後の1524年。ペドロ・デ・アルバラード率いるスペイン征服者がこの都市を陥落させました。スペインの征服は、カキチケルの人々とその生活様式に壊滅的な打撃を与えました。都市の住民の多くが殺害され、奴隷にされました。さらにキリスト教への改宗を強制されました。
スペインによる破壊にもかかわらず、イシムチェは重要な考古学遺跡であり続けています。発掘調査により、カキチケルの人々の日常生活、宗教信仰、そして他のメソアメリカ文明との交流に関する貴重な洞察が得られています。この遺跡はまた、植民地主義の悲惨な結果を象徴する場所でもあります。
現在
イシムチェは現地のマヤ人にとって今でも神聖な場所です。遺跡の奥の方には最近儀式を行った跡が残されていました。
Iximché遺跡のツアー
今回はグアテマラ・シティからのツアーに入りました。それが「グアテマラシティからのIximché遺跡とアンティグアシティツアー」です。乗用車を使った少人数ツアーで、お客さんは僕らの他は一人だけ。
コメント
“イシムチェ遺跡” への1件のコメント
[…] この後ツアーはIximché遺跡へと向かいました。 […]