沖縄仲泊遺跡と歴史の道

沖縄へ来ています。宿にしているルネッサンスリゾート沖縄から、恩納村おんなの駅へ歩いて行く途中に仲泊遺跡があり、古い石畳道が残されています。歴史の道 国頭方西街道と言われる道のようです。仲泊遺跡自体ははるかに古い時代の遺跡のようです。

仲泊遺跡

写真の石畳道が古い街道の歴史の道、奥の洞穴状のところが仲泊遺跡第三貝塚で、先史時代後期の住居跡だそうです。自体が異なる遺跡が重なっていることがわかります。

歴史の道自体は結構長く、恩納村のホームページに地図のあるページがありましたので、リンクしておきます。私が歩いたのは博物館からルネッサンスホテル近くまでのごく一部です。またこの地図のあるページも特定のイベント用のものですから、いつまでもあるとは限りませんのでご注意を。

岐阜県関市の弥勒寺遺跡と円空の墓

岐阜県関市に弥勒寺というお寺があります。ここは円空上人が最期を迎えたことで有名ですが、実は飛鳥・白鳳時代の大きな寺がいったん廃寺になったのを円空上人が再興したもの。終戦後の発掘で大きな伽藍の寺だったことがわかり、国指定の史跡になっています。

岐阜県関市弥勒寺

遺跡の上のほうには墓地があり、そこに円空の墓石もひっそりとたたずんでいます。

円空上人の墓

一宮市三ツ井の稲荷山古墳

愛知県一宮市三ツ井にある稲荷山古墳へ行ってきました。「公園にある」と記憶していたので、勝手に三ツ井公園かと思って自転車で走って行ったら…ない。おかしいなあと思って、少し東の方までペダルをこいで行くと、あった。三ツ井公園ではなく、その名も稲荷山公園でした。

どうやら円墳だったようですが、西側は削られており、てっぺんに作られた神社へ登る石段が作られています。まあ古墳が信仰の対象になって神社が作られているのはよくある話ですね。看板は一宮市の指定文化財であることを示すものです。発掘品等に関する情報はありませんでした。

稲荷山古墳

神社じゃこんな感じ。結構高さがあるように思いましたが6メートルほどとか。

稲荷山古墳頂上の神社

公園側から見ると、確かに円墳らしい形をしています。

稲荷山古墳を東側から

稲荷山古墳の80メートルくらい東にある陪塚(ばいちょう)。どうやら伊勢塚古墳という名前のようです。

稲荷山古墳の陪塚

朝日遺跡・清洲貝殻山貝塚資料館

愛知県清洲市の大規模な弥生遺跡、朝日遺跡へ行ってきました。買ったばかりのGIANTのクロスバイクの試乗を兼ねて自宅から約9キロ。
たどり着いたのは貝殻山貝塚資料館。

貝殻山資料館

ここは本来広大な朝日遺跡の一角に過ぎないのですが、朝日遺跡で発掘された環濠や墓地など、大規模な遺跡の中心部は高速道路の下になってしまい、見ることはできません。でも、資料館の人の話では、発掘されたのは多分10%に過ぎないとのこと。あとの部分は宅地化が進んできていることもあり、実質発掘は不可能だそうです。残念。

資料館の中はこじんまりとしていて土器や石器、その他の遺物が展示されています。入館料は無料ですが、詳しい説明等はありません。

貝殻山貝塚資料館内部

外はちょっとした公園になっており、うずたかくなった場所が貝塚とか。最初古墳かと思ってしまいましたが。

敷地内には復元された竪穴式住居などもありますが、環濠遺跡などが見られないのは返す返すも残念です。
竪穴式住居

三内丸山遺跡

この記事はねぶた祭りを見に青森を訪れた旅行記の続きです。

8月3日の夜はねぶたを見たあとタクシーで浅虫温泉へ戻りました。前の晩、列車で帰ろうと思ったら臨時の快速列車がすごい混雑。しかも青森の人たちは満員電車に慣れていないせいか?列車の入り口で立ち止まってしまってなかなか乗ることもできなかったのです。小さな子ども連れだと大変なのでタクシーにしました。青森市街は混んでいましたが、そこを抜けるとスムーズに走り、意外に道路でも近いなあ、という感想です。

翌8月4日は午前中三内丸山遺跡を見学することに。再び列車で青森まで出ます。タイミングが悪くてまたまた特急列車に乗る羽目に。普通や快速がさっさかやってくるところに住んでいるので、なんだか割り切れない感じが残ります。

青森駅の特急
白鳥
この日乗ったのは白鳥。東海と東京しか知らないので見慣れないデザインの電車ですね。スーパー白鳥とはまた違うデザインです。青森駅に着くと、またまた見かけない列車が。名前は忘れてしまいましたが、鉄ちゃんじゃない僕でも、見慣れない電車を見かけると、旅情を感じますねえ。

青森駅から三内丸山遺跡まではバスも出ているのですが、人数が多いこともあり、レンタカーを利用することにしました。

三内丸山遺跡までは20分ほどで着いたでしょうか。「え?こんなに近いの?」と思うくらいの距離でした。入り口はモダンな建物になっており、なんと入場無料。驚きです。

三内丸山遺跡
無料のガイドがあって、それに参加したのですが、本格的な発掘が行われる前には野球場か何かにする予定で、すでに工事も始まっていたのだそうです。三内丸山遺跡の詳細については遺跡のホームページを参照してください。

印象としては予想よりも広い!そして栗の木で作られたタワーが予想よりもでかい!これが2500年も前のものかと思うと、感慨もひとしおです。

三内丸山遺跡
世界各地の遺跡を見て歩きましたが、「木の文化」の遺跡であることを考えると、地上の遺物の少なさはともかく、規模や内容からも決して劣らない文化があったように思います。

ここのレストランには予想したとおり「発掘定食」とか、縄文時代のメニューに近いものが用意されており、食べたかったのですが、団体客が入っていて待ち時間が長く、残念ながらあきらめました。

そして青森の町に向かう途中の和食屋さんでお昼にしたのですが、子ども用の定食に納豆巻きが入っていたのには一同びっくり。僕らの地元ならかっぱ巻きか鉄火巻きが標準ですから。

一乗谷朝倉氏遺跡

この記事は家族で行った山中温泉の記事の続きです。

山中温泉の散策を終えてから車で一乗谷を目指します。一乗谷は織田信長に滅ぼされた戦国武将、朝倉氏が居城を構えていたところで、美しい山間の谷間に近年発掘された遺跡があります。非常に興味深いところで一度訪問されることをお勧めします。

一乗谷朝倉氏遺跡 甦る乱世の夢 一乗谷朝倉氏遺跡 甦る乱世の夢¥ 3675 

戦国城下町の考古学―一乗谷からのメッセージ 戦国城下町の考古学―一乗谷からのメッセージ
¥ 1529 

これは今も残る庭園のあと。400年以上を経て今なお石組みや池が残っています。大きなヤマモミジの木がアクセントになっていますが、これは自然に生えてきたもののよう。

池や水路にはおたまじゃくしがたくさん。息子は庭園よりもおたまじゃくしに夢中です。

こちらが朝倉の屋敷のあと。堀と土塁に囲まれた中に、礎石ややはり庭園の石組みのあとが残っています。

もう少し歩いて見たい気もしましたが、6月の日差しは強く、そこそこにして次の訪問地の敦賀気比神宮に