スペイン前後
皆さんご存知かと思いますが、ボリビアは他の中南米諸国と同じようにかつてスペインの植民地だったところです。スペインが侵入してくる以前は有名なインカ文明が栄えており、ボリビアも熱帯地域を除いては、インカが支配する圏内にありました。ボリビアの高地はアイマラ語を話す民族が昔から独自の文明を築いていた地域ですが、インカの支配以降はインカの公用語であるケチュア語も広がり、今ではケチュア語圏もかなり広く存在しているようです。
ボリビアにも各地に遺跡がありますが、有名なものにはティティカカ湖からあまり遠くないところにあるティワナク遺跡があり、ユネスコの世界遺産にも指定されています。この遺跡は現在のアイマラ族の祖先が作ったといわれていますが、ピラミッドや神殿、そして石の門などが現在でも残っています。ただ残念なことに、スペイン人が神殿などに使われていた金銀を奪うためにかなり破壊され、またこの遺跡の石を近くの町や教会などの建設のために使用したために、特にピラミッドなどには昔の面影はありません。(写真は教会に使われいる遺跡の石)
ティワナク遺跡は数期にわたって建設されたと考えられていますが、その起源は紀元前に遡るようです。有名なインカは実はスペインが進入してくる数世紀前くらいに覇権を握っただけで、ペルーにあるかつてのインカの首都クスコや、これまた超有名な空中都市マチュピチュの遺跡などは、日本で言えば鎌倉から室町時代、つまりそれほど古いものではありません。(写真はピラミッド)
またインカの遺跡は圧倒的にペルーが有名ですが、実はインカの起源はボリビア領になっているティティカカ湖の島、太陽の島や月の島にあるとされています。今でもこのあたりに行くと、ペルーの遺跡ほど有名でもまた立派でもありませんが、インカゆかりの遺跡が数多く残されています。写真左奥の島が太陽の島です。
特に太陽の島は小さな遺跡が集中しており、またインカ時代の階段や水場などは今でも立派に使われています。
太陽の島に渡るための起点はコパカバーナという町です。ブラジルにある同名の町が有名ですが、オリジナルはボリビアで、その語源はアイマラ語だそうです。このコパカバーナの周辺は山なのですが、その一面はテラス、いわゆる段々畑で覆われています。
太陽の島も同様で、全山が段々畑に覆われていると言っても良いくらいです。そして驚いたことに、このあたりの段々畑はほとんどがインカ時代に作られ、そして今まで使われ続けているものなのだそうです。つまりインカという帝国は滅んだものの、そこにいた人々の生活はあまり変わることなく続いていた、ということでしょう。観光客が注目してみに来る神殿の跡などよりもずっと壮大で、気が遠くなるような作業であった気がします。
ここで栽培されているのは伝統的なジャガイモやキヌア(左の写真)という穀類、そして豆類なのですが、これらの作物はいずれもこのあたりが原産のものです。
一方家畜は少ないのですが、リャマやアルパカ(写真がアルパカでリャマより少し小型)などが伝統的に飼われています。リャマは毛を取るほかに役畜として使われたり、肉も食べるそうです。なんでも高たんぱく低脂肪の健康食だとか。そしてアルパカはセーターの原料になる良質の毛をとるために飼われています。
またコパカバーナはボリビアの中でもカソリックの聖地として有名です。カソリックはマリア信仰が盛んですが、この地にも有名なマリア像があるのです。世界各地に肌の色が黒いマリアなどが存在してその土地の信仰を集めていますが、ここのマリアはインディオ、それもアイマラ系の肌の色と顔つきをしています。もともと彫ったのもインディオの人だったそうです。その起源はちょうど日本にもキリスト教が伝わったころ、と書けばイメージできるでしょうか。既にそこの頃にはインディオの間にもカソリックが広がっていたわけです。
元々アイマラ系の宗教・世界観は、インカにも共通しているようですが、天と地と地下世界と三つの世界をイメージしていたようです。そしてジャガイモなどの作物を実らせる地下世界を母性をも現す女神、パチャママが支配していると考えていました。そう、女神と書けばおわかりかと思いますが、それがマリア信仰へとつながっているわけです。今でもコパカバーナのマリア像を前にした礼拝では、パチャママに対する儀礼との混合を見ることができます。
そしてコパカバーナの町外れには、見晴らしの良い岩山が聳えているのですが、ここはやはりインカ時代まで信仰の対象になっていた場所です。今でも山に登るための石段などが残っています。
ここに登ってお供え物をして祈る、ということが行われていたようですが、現在この丘はその名も Calvario (キリストはりつけの地の意味)と呼ばれています。ここの坂道はゴルゴダの丘への道を模した十字架が並び、かつてのお供え物の代わりにロウソクがともされています。
ロウソクを置くための石は四角く切り出されたもので、多分以前はこの地にインカの神殿か何かが建っていたのでしょう。神殿はスペイン人に破壊されたけれど、信仰は形を変えて残った、というわけです。
そして山の途中では、何人かの祈祷師が小さな祠を前に、ビールを飲んで(多分かつてはチチャという現地のお酒だったのでは?)相談に来た人たちに対してお告げをしています。これなどもかつてのインカ時代(あるいはそれ以前)の宗教の形態がカソリックに姿を変えて残っているものでしょう。
またラパスの大聖堂であっても、インディオの男性エケコの人形を奉納して願い事をする祭りがある、などのカソリックらしくはない習慣が残っており、果たしてカソリックが征服したのか、カソリックが征服されたのか、一概には言えないような気がします。
ティティカカ湖で有名なのがトトラ葦で作られた島や船です。トトラ葦の島は残念ながらペルー領なので行くことができませんが、船には乗ってみました。ただしこのトトラの船、現在はもっぱら観光客向けに作られているだけで、実際には使用されていないそうです。乗り心地は揺れが少なく、普通のボートなどよりはるかに安定しています。ただ喫水線が高いので、波があるような時だとちょっと不安にかんじるでしょうけど。
このトトラ葦(船の周辺に生えているのがそれ)、船や島を作るのに使われているのは良く知られていますが、この他にも屋根を葺くのに使われたり、また食用にもなります。生え際の皮をはぐと白い芯があります。これを齧ってみるとわずかに甘くて柔らかく、なかなかおいしいものでした。でも先のほうに行くに従って硬くなりますから、食べられるのは根元のほんの数十センチ程度です。ちなみにトトラ自体は4、5メートルにまで生長します。
そしてもう一つの用途は、根が化粧品に使えるそうで、なんでも皮膚がきれいになるのだそうです。どうやらトトラというものは、この周辺の住民にとっては多目的に使える貴重な植物だったようです。
さてスペインの征服の意味は一体なんだったのか。それは一言で言うにはあまりにも難しい歴史上の出来事だったと思います。
国というレベルでは大きく権力が入れ替わりましたが、土着の文化という点で見ると、食文化にしろ宗教にしろ、ヨーロッパの影響を受けながらも、むしろかつてのものがそのまま本質的には変化しないまま残っているような印象を受けます。ひょっとしたらスペインが持ち込んだ最大にして最悪のものは、宗教や病気などではなく、支配被支配の構造と、貧富の格差だったのかもしれません。