織田信長 居館跡遺跡

 岐阜県岐阜市にある金華山。かつて稲葉山と呼ばれていたこの山頂にある城は、戦国時代には斎藤道三の居城で稲葉山城と呼ばれていました。永禄10年(1567年)に織田信長が家臣の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に命じて攻略。周辺の地名を岐阜と改め、城の名も岐阜城としました。

 岐阜の町は信長の楽市楽座令により、全国から人や物が集まり非常に繁栄しました。信長は金華山の麓、現在のロープウェーの駅辺りに居館を構え、その大きさはルイス・フロイスの『日本史』にも記述があるほどでした。しかし、その後の戦火で焼失。岐阜城も関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)、徳川家康の命で廃城となりました。

 時は流れて1984年、 岐阜市制100年記念事業として岐阜公園内に信長居館を再現する計画が持ち上がり、そのための準備として居館跡と見られる場所の発掘調査が開始されました。信長居館跡の発掘に関してはこちらを参照してください。

 信長の居館があった場所へ続くと考えられる道の脇の石組み。

現地にある岐阜市が設置した案内図。上の写真は左下の部分です。

付近は至るとこと発掘中。かつては公園として整備されていたところも土をはがされており、立ち入りできなくなっているところがあちらこちらにあります。庭園や茶室と思われる遺構は出土していますが、居館の本体はまだ未発見です。

近くのトイレはユニークな戦国風?女子トイレの構造はわかりません。

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